池田です。
僕は起業した当初からずっと「過労死したい」と思ってきました。
過労死。
一般的には不幸な死に方です。
でも、僕はずっと過労死したいと思い、過労死は幸せだと思ってきました。
だって、
よっぽどそのことに対して想いがないと死ぬほど自分のこと追い込めないですよ?
死んじゃうくらい取り組めるものに出会えるって幸せだと思ったんです。
だから僕は、ずっと過労死したいと思っていて、今も過労死が憧れです。
家族に看取られながら布団で死にたいとは思ったことはありません。
たしか女優だったと思いますが、舞台の上で死にたいと言っていた人おり、たしかその人は実際にステージ上で亡くなりました。
すごく幸せな死に方だと思います。
さて、
そんな感じの僕の死生観を少し前のメルマガで書いたところ、なかなか熱い返信が届きました。
紹介します。
===ここから===
こんばんは。
こんなに何度も読み返すくらいハマるメルマガはありません。
何度も通勤電車の中で読んで吐き出しました!
(池田注:たぶん「書き出しました」だと思われます。電車の中で吐いた!?とびっくりしました。笑)
私にもクレイジーな部分があるようで、メルマガ読んで、自分のことを思い出しました。
胸の奥にしまっている黒い部分があります。
そこに似ていますが、最近その黒い部分も自分の一部と理解したら、すごく心が楽になりました!
死生観については、
「お母さん、ありがとう」
と、言われて死にたい。
誰かに感謝されて死にたいと思いますが、特に子供からはそう思ってくれるように、色んなことをしてあげたいし、させてあげたい。
と、考えています。
誰に何と言われようと、したい事しなさい!いつ死ぬか分からんから。
と、子供たちには伝えています。
その時、その瞬間を後悔しないように生きるのみ。
後悔しない生き方をして死ぬなら本望。
===ここまで===
熱いですね、ありがとうございます。
死生観は人それぞれなので正解・不正解はないと思いますが、
死生観を持っているか、いないか、これは大きな違いだと思っています。
僕は読書が好きですが、現代人が書いたものではなく、古典や古典の読書をしてきた人の本が好きで、毎日読んでいます。
昔の人は、死生観を持っていましたが、現代人は、死生観がなくなってきています。
僕は、自分が葬儀社に勤めていた経験があるからかもしれませんが、死についてよく考えますし、葬儀社の社長にも死生観を持つように教わってきました。
死について考えることは生き方について考えることになり、人生が充実すると考えています。
現代のように死について語ることがタブーになり、死生観を持たなくなった社会が悲しく感じます。
僕がメルマガで死生観の話をするのも、死生観を持つ人が増えたらいいなと思うからです。
そういえば、今は鬼滅の刃がはやってますね。
あの漫画に出てくる鬼狩り(特に柱たち)には死生観がありました。
特に、今映画で話題になっている煉獄さんがわかりやすいと思いますが、ひと昔前(GHQによる洗脳前)の日本的な価値観に近いように思いました。
結果的には鬼に殺されますが、最後まで全力で生きることができて煉獄さんは幸福な人生だと思いました。
鬼滅の大ヒットによって、死生観を持つ人が増えるんじゃないかと思っていて、それは良い影響だなと思っています。
ところで・・・
ちょっと質問、というか問題です。
今の日本人にとって(日本人に限らず世界的にですが)
死生観を持つ人が少ないのはなぜだと思いますか?
・
・
・
実は、
死生観を持つ人が少ないほうが経済成長を促進できるからです。
なので、本当の意味での人生の充実よりも経済成長が優先されている現代社会では、死生観を持たせないように教育、洗脳されています。
これは世界中ほぼすべての国家がそうで、世界人口のほとんどが洗脳対象です。
自分の身の回りの人、ほぼすべて洗脳されているから、当たり前すぎて誰も洗脳されてることすら気づかない。
よっぽど古典(死生観があった時代の本)を読む、読み続ける、読んできた人を師匠に持つなどしないと、飲み込まれます。
そんな巧妙な社会が作られています。
なぜ、死生観持たせないほうが経済成長に繋がるのか?
とか解説しだすと長くなるのでここでは話しませんが
とにかく、今の世の中は、経済成長のために死生観を持たせない社会になっていることは知っておいたほうがいいですね。
そして、本当に人生を充実させたかったら、死に方を決めることが大事です。
僕の場合、葬儀社での経験や古典の読書(死生観があった時代の人が書いた本)、親戚のおじさんが植物状態になった姿を目にしたこと、などによって、死に方を考えるようになりました。
先日のメール以降、ちょくちょく返信で
「死生観について考えてますが、これ!といったものが出てきません…」
といったメールもいただきますが、考えることが大事で、考え続けさえすれば自然と出てくると思います。
またこのメールが何かのきっかけになれば幸いです。
ありがとうございます。
池田喜行
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